【高鑑定プルーフライク】ハンガリー 10コロナ金貨☆1913年希少年☆MS61PL☆プライスガイド$2850☆プレゼント付

N-5947604-011
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商品番号:N-5947604-011

【高鑑定プルーフライク】ハンガリー 10コロナ金貨☆1913年希少年☆MS61PL☆プライスガイド$2850☆プレゼント付

国・地域ヨーロッパ
発行年1913
材質金貨
グレードMS(流通型)
グレード数値61
鑑定会社NGC
鑑定番号5947604-011
高鑑定
管理者メモPL(プルーフライク)
N-5947604-011
¥0(税込)
只今お取扱い出来ません

★110年前のプルーフライクPL金貨! 2枚のみの高鑑定さらに希少年★

オーストラリア=ハンガリー君主国のフランツヨーゼフ1世を描いた1世紀以上前の未流通(MS)10コロナ金貨です。
裏面は王冠と盾の紋章を2体のエンジェルが支えている美しいデザインです。

フランツ・ヨーゼフ1世は愛妻王ともいわれ、妻エリザベートをこよなく愛したことで知られます。コイン収集家なら、「雲上の女神」で知られる、オーストリアの100コロナ金貨を良くご存じかと思います。コインの裏面には、妻エリザベートをモデルとしたと言われる美しい雲上の女神が描かれ、大変人気のあるコインです。

こちらはオーストリアではなく、ハンガリーの金貨です。ハンガリーというと現在は旧東欧諸国の1つくらいのイメージかと思いますが、歴史上は神聖ローマ帝国の図版の中にありました。フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I)は、オーストリア=ハンガリー帝国の最後の皇帝(1867~1916年)でした。彼の統治時期において、オーストリアとハンガリーは二重君主制(ダブル・モナーチー)でした。そのため、オーストリアとハンガリーでそれぞれ通貨が発行されたわけです。

発行所 ハンガリー
発行枚数 137,443
重量 3.3875gram
金品位 0.900
鑑定機関 NGC社
グレード MS61PL

グレードのPL(プルーフライク)は流通用硬貨でありながら、表面がプルーフのような美しい反射を持つものにつけられます。ハンガリー10コロナは1892年から1915年まで合計230枚鑑定されていますが、この中でPL鑑定は【5%】にあたるたったの【12枚】しかありません(NGC鑑定)。

本MS61PLは、この1913年号では【2枚】だけPL鑑定されている希少品となります。
(本品以外にMS63PLが存在します)
Verify NGC Certification | NGC (ngccoin.com)

★発行枚数は他年度の1/10程度!★

本品の1913年号は【13.7万枚】発行されました。これは前年の12年の73.9万枚、その前の11年の182.8万枚と比較しましても【1/10程度格段に枚数が少ない】ことが分かります。
なお、14年は11.5万枚で同程度ですがPL鑑定はありません。最終年の15年は5.4万枚と特別少なく、プライスガイドはなんと$6500です。

1904~10年 50.9~153万枚
1911年 182.8万枚
1912年 73.9万枚
1913年 13.7万枚 ←本品
1914年 11.5万枚(PL鑑定なし)
1915年 5.4万枚(Very Rare, MS60=$6500)

★プライスガイドはPLでなくても42万円★

本年号のNGCプライスガイドでは、PLでない【通常のMS60】でも【$2850】(約42万円)となっております。※本金貨はさらにワンランク上のMS61でPLとなっております。
Hungary 10 Korona KM 485 Prices & Values | NGC (ngccoin.com)

平年の1/10程度の発行枚数と希少年号で他年よりもプライスガイドが高く、その中で20倍の希少性のあるPLはさらに価値が見込めます。

★★ハンガリーのミントセット プレゼント中!★★

MSグレードは未使用(非流通)硬貨を示します。スラブケースにはよく見られる使用感がございますが、コインの鑑定価値には影響いたしません。
写真及び表示の鑑定ナンバーは現品のもので、手元にございます。検品後、厳重に梱包してお送りいたします。


フランツヨーゼフ1世とエリザベート

フランツ・ヨーゼフ1世は「愛妻王」(Ferenc József az Örökös Apakirálynak)として知られています。ハンガリー語で「永遠の皇后の王」といった意味です。この愛称は、フランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベト皇后(シシー皇后)の結婚生活において、フランツ・ヨーゼフ1世がエリーザベトに深い愛情を抱いていたことを反映しています。
フランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトは1854年に結婚しました。しかし、二人の関係は複雑でした。エリーザベトはフランツ・ヨーゼフ1世との政略結婚に対し、個人的な自由を求め、宮廷の厳格な習慣に馴染むことができませんでした。夫妻の間にはさまざまな問題があり、感情的な距離が存在しました。
エリーザベトは美貌とスタイルで知られ、当時のファッションアイコンとして広く認識されていました。彼女は非常に長い髪で知られ、その美しさから「世紀の美女」とも呼ばれました。彼女は宮廷の習慣に反発し、自由な生活を好み、ハンガリーの遊牧生活に影響を受けたと言われています。
1898年、エリーザベトはジュネーヴで行われたジュゼッペ・サンテュッチによる暗殺未遂事件に巻き込まれました。エリーザベトは押し寄せた男に刺され、数日後に死亡しました。この事件は当時大きな衝撃を与え、エリーザベトの死は帝国全体で深い悲しみを引き起こしました。
エリーザベトの死後、フランツ・ヨーゼフ1世は喪失感と孤独感に襲われました。彼女の死は帝国にとっても大きな損失であり、彼女が持っていた魅力や人気は特に不可欠でした。フランツ・ヨーゼフ1世はエリーザベトの死後も彼女を愛し続け、彼女の死は彼にとって大きな心の傷となりました。