貨幣誕生の歴史~インドを例にとって

古代インドを例にとって、貨幣の誕生までの歴史を見ていこう。

インドにおいては、BC2500~1700年ごろ、インダス川流域にハラッパー文明が栄えた。この文明の人々は農作物などを物々交換しており、貨幣やそれに代わる媒介物はなかったようだ。

時代は下ってBC1500ごろ、聖典ヴェーダを信奉するアーリア人は牛を取引に使用した。「リグ・ヴェーダ」によれば、あるインドラ神の像は牛10頭分である、と述べられている。
牛はそう早く傷むものではなく、農作物より価値が安定していた。さらに増殖することができ、労働力や牛乳を与えてくれる。その一方で、牛は世話の手間、分割や貯蓄という点では問題を抱えていた。

そこでヴェーダの時代の人々はネックレスの一種とみられるニシュカをいう装身具の利用を思いたった。これは多様な渦巻き模様をもった芸術品であった。ニシュカは富の象徴であり、しばしば王によって司祭者たちに与えられた。

そうすると一部の人々は自然のなりゆきとして、装身具を持ち運ぶ代わりに、装身具を提供できる金属そのものを使用することを思いついた。当時のインドでは金(ゴールド)は大河の砂から洗鉱することで容易に得られ、また主に南部で豊富に発見された。取引の単位として、重量や大きさが安定した種子が用いられた。当時の秤量単位はクリシュナ等で、これは現在トウアズキと呼ばれる種子の名称からとられた。

しかし、金属を取引に使う場合には取引のつど秤量の手間があった。そこで一定の量目と価値をもつ地金の使用が考え出された。「シャウラウタ・スートラ」には、円形の金属片がマーナと呼ばれる量目の単位で使用され、12,24,30,40,70,100という数字を伴って用いられている。なおパーダ(1/4の意)という別の金属片も用いられたようである。BC800年ごろのまでのことである。
このような金属片による取引は便利なものであったが、その金属の重量の正確さと品質(貴金属の含有量)に対する保証がなかった。

そこで金属片に、正確な重量を正しい品質を保証する印として、責任能力のある権威のマークや図柄を刻印することが考案された。貨幣の誕生である。貨幣の発行や使用は商人によって行われた時期もあったが、最終的に最も権威のある国が貨幣の製造と責務(発行権)を引き受けることで、これが国家の特権となった。なお金は主に国際貿易で輸出品として使用され、インド内では銀貨が流通した。インドで金貨が使用されるよういなるのはBC2~1世紀ごろのことである。

このような初期の通貨の使用が始まったのはいつのころであろうか。BC6~5世紀の作品とされる「アシュターディヤーイー」において初めて、刻印された金属片すなわち貨幣についての明確な記述が見いだされる。このころには通貨使用はきわめて高度な段階になっていたとされるので、通貨の使用自体はさらにさかのぼったBC7世紀以前であるとも推定されるのである。
一般には年代の分かる世界最古の通貨としては、リディア王国(現在のトルコあたり)のスターテルと呼ばれるエレクトラム貨(金と銀の自然合金)があり、これはBC610-546年のものとされている。しかし、上記の「アシュターディヤーイー」記述や状況証拠が正しいとすれば、それよりも1世紀近く前にインドで貨幣が誕生したとも主張できるのである。

なお、写真の硬貨はクシャナ朝シャカ王時代(AD325-345)のディナール金貨(量目7.7g、鑑定AU55)であり、当方で以前取り扱ったものである。このシリーズではAD2世紀くらいまでさかのぼることができる。これらの時代のインド金貨はグレードを問わなければ比較的容易に入手できる。AD4世紀の硬貨でも十分古く、日本で和同開珎が使用される708年より400年ほど古いのである。このような金貨が手ごろな価格で手の内にできるのがアンティーク収集の魅力の1つである。

引用文献 P.L.グプタ他:「インド貨幣史」, 刀水書房, 2001.

 

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